大倉和親の人柄PERSONALITY

PART 2 世の為、人の為に働く仕事人間

和親は、その生涯を事業に捧げていました。事実、和親のエピソードは仕事にまつわるものが大半で、家族や友人とのやりとりはほとんど記録に残っていません。

また、実業家として成功した和親は相当な資産家でしたが、書画などの趣味には興味を示さず、事業の成長や部下の報告を無上の喜びとしていました。とある和親の部下も「道楽は事業そのもので、一にも事業、二に事業だった」と振り返っています。あまりにも仕事に熱中していたからでしょうか、和親の妻・繁子は「そうした意味では、この人はかわいそうな人ですよ」と語っていたほどです。

なぜ和親はそこまで事業に情熱を注いでいたのか。それはひとえに「社会の為に役立ちたい」と考えていたからだと推測できます。和親は自社の経営が赤字状態でも、国のためならば実現化を模索する人物でした。特別高圧ガイシを製造する『日本ガイシ株式会社』や衛生陶器をつくる『TOTO』は、和親の「国家へ奉仕したい」という志から生まれ、大正期には社会インフラの発展に大きく貢献しています。

このように利他の心で行動した人物ですから、部下や従業員、そして消費者をとても大切にしました。たとえば、10年以上の歳月をかけて開発した洋食器セットを世に送り出す際、普及を促すために価格を抑えて販売しています。長年にわたる開発のため赤字がかさんでいましたが、まずは消費者に使ってもらうことに重きをおいたのでした。さらに「多少の損は仕方ない。工場のみなさんも一所懸命やっているから、当分のうちは仕方ないよ」と従業員の苦労も労っています。

同時期には、日本では珍しかった洋食器を体験させるため、部下を自宅に招いてフルコースを振る舞ったこともありました。食事に使った洋食器はたいそう高価なものでしたが、西洋式の食事に慣れてもらうため、そのままお土産として持ち帰らせたそうです。

和親は「成功の秘訣は相手に満足してもらうこと、利潤を追求するだけではその目的は達せられない」と考えていました。この姿勢は顧客のみならず、部下や社員に対しても一貫していたのです。