大倉和親の人柄PERSONALITY

PART 3 若き実業家たちのよき理解者

和親は事業を興し、牽引する実業家でしたが、壮年期には他社を支援するエンジェル投資家としても活動しました。なかでも種苗を製造する『サカタのタネ』や、INAXの前身となる『伊奈製陶』は発展を遂げ、今日においても存在感を放っています。

これらの支援は投資としての側面を持ちあわせていましたが、当時のエピソードを紐解くと「若き実業家の育成や後援」としての性質が強かったようです。

たとえば、『伊奈製陶』の初代社長・伊奈長三郎は若かりし日に和親と出会い、人柄と将来性を認められてアメリカへの視察を提案されています。このとき和親は、渡米の支援はもちろん、ニューヨークの知人を紹介し、宿泊先を手配しています。

この支援関係は後々まで続き、伊奈製陶が経営難に陥った時には、長三郎は何度も和親のもとへ融資の相談に訪れました。借入金の合計は現代の価値にして数億円以上。和親は京都や奈良に所有していた土地を処分して、長三郎の懇願に応えています。

一方、『サカタのタネ』の創業者、坂田武雄は創業から数年後に和親と出会いました。当時、坂田は農産種子の海外輸出を行なっていましたが、国内でも前例がない事業であるため業績は伸び悩んでいたそうです。運転資金に困っていた坂田は支援者を募り、そのなかで和親を紹介されました。

坂田と初めて会った和親は、「そのような事業は自分にはよく解らないが、とにかく新しい仕事で、しかも外貨を得られるなら日本の役に立つかもしれない」と投資を決めています。和親は坂田の資質を買っていたのでしょう。後に関東大震災の影響で『サカタのタネ』が経営難に陥った際には、和親は所持していた株券を担保に入れ、坂田に資金を援助しました。

この時、和親は「たいへんな道楽になった」と苦笑したことが伝わっていますが、単なる道楽で多額の支援を行うはずはありません。和親は若くして父・孫兵衛と森村組創業者の森村市左衛門から事業を任された青年実業家でした。おそらく、長三郎と坂田に若き日の自分を重ね合わせ、自身がそうされたように次世代の育成に取り組んだのでしょう。