大倉和親の人柄PERSONALITY

PART 4 妥協知らずのこだわり屋

明治から大正にかけて、当時日本ではまだ珍しかった本格洋食器や、日本初となる高圧ガイシ、衛生陶器などを研究製造した和親。その性格は、ものづくりの場において顕著に現れています。

和親はあらゆる場面において妥協を許さない人でした。製造の際は、原料や設備、製造法の細部に至るまで徹底的に吟味しています。さらに理想を追求するため、自ら技術者を率いて陶磁器製造の本場であるヨーロッパを訪れ、現地から最新の窯や設備を輸入しました。

それまで日本でも磁器の製造は行われていましたが、和親はあくまで世界で通用する技術を求め、設備や研究開発に多額の費用を投じています。なぜ和親が執念に近いこだわりを見せたのか。それは同じく実業家であった、父・孫兵衛の影響だと考えられます。

孫兵衛は晩年、執筆活動や講演を通して経営哲学を説いています。繰り返し述べたのは「商売の目的は親切と丹精を売ること」「財産は公共のために使え」「道に従えばお金は降ってくる」など、商売人の道義に則した言葉です。

特に製品の品質には一途にこだわり、たとえ自社が赤字でも、孫兵衛が不良とみなした品は世に出しませんでした。それは、顧客の満足と社会全体の利益を重視したからに他なりません。手に取った製品がすぐに壊れてしまっては顧客の信用を失い、社会の利益は損なわれます。ひいては経営も傾いてしまうでしょう。企業の末ながい繁栄と社会の発展を実現するために、孫兵衛は品質本位を貫きました。

一切の妥協を許さないこだわりは、子である和親にもしっかりと受け継がれています。彼もまた品質の向上に心血を注ぎ、その結果世界に通用する一級品を生み出したのでした。親から子へ伝わったひたむきな姿勢は、製陶王国を繁栄させる支柱となったのです。