大倉和親の人柄PERSONALITY

PART 1 几帳面で、新しもの好き

和親は自著や自らの言葉をほとんど残していません。しかしその人柄は、生前の和親を知る人々が語ったものから推しはかることができます。彼らは口を揃えて、「細かいことに良く気がつく人だった」と話しています。

和親は時間や身なりなど、何事にもきっちりしていないと気が済まない人柄でした。特に時間には厳しく、1分でも遅れた部下はお叱りを受けたようです。そのルールは社内でも有名で、和親の自宅で打ち合わせが行われる際、部下は必ず10分前に門の前に到着して、定刻を待って呼び鈴を押していました。

この性格は、一方で律義さとしてあらわれていたようです。たとえば、和親はとても筆まめで、仕事の手紙が来ると、従業員の役職に関係なく返事を出していました。こんなところから、社員を大切にした和親の姿勢をうかがい知ることができます。

手紙といえば、和親の気配りを感じさせるエピソードが残っています。ある日、和親の部下が仕事の連絡を手紙で受け取りました。その封筒は便箋が取り出しやすいよう、口が反対に折り返されていたそうです。ごく些細なことに思えますが、和親はそれだけ細やかな気遣いができる人物だったのです。

ここまでは仕事の顔でしたが、プライベートではどのような人物だったのでしょうか。よく語られているのは、新しいものに目がなかったことです。一例を挙げると、まだ自動車が目新しかった大正時代初期に、イギリスから自動車を購入して自ら運転していました。

そのほかにも19歳でニューヨークに留学した際、現地の日本人とともにチームを組み、自転車レースに参加したハイカラなエピソードが残っています。

時代を先取りする気質は事業にも活かされ、和親は衛生陶器の需要がほとんどなかった大正元年に、世に先駆けて洗面台や便器などの製造研究を始めました。この事業は今日において『TOTO』として残り、和親の先見性を証明しています。